2年前の冬、長女に「パパ、なんでいつもいないの」と言われた夜の話です。
その日は残業で帰宅が22時近く。子どもたちは既に寝ていて、夕食はラップのかかった皿の中で冷たくなっていました。妻が起きていてくれて、リビングのライトだけが点いていました。風呂上がりに長女が寝室から出てきて、ぼんやりした顔で私を見て、ひとことだけ言いました。
私はその夜、ベッドに入ってから1時間、天井を見ていました。
その時の私の通勤は、片道50kmの高速移動でした。朝6時起き、6時45分には家を出て、職場に着くのが8時前。帰りは19時に出ても、家に着くのは20時半。残業がある日は22時を回りました。
年収は460万円でした。同年代の医療事務としては悪くない数字だと思います。ただ、月の高速代は5万円弱、ガソリン代は2万円強、車の整備費が年3万円台。手元に残る感覚は、明細の額面とはずいぶん違いました。
それ以上に、年間で約840時間を、車の中と国道とランプの上で過ごしていました。10年で8,400時間です。1日24時間で割ると、350日分です。
ほぼ1年分。私は、車の中で1年分、生きていた計算になります。
長女の「なんでいつもいないの」のあと、私はゆっくりとフルリモート医療事務の求人を探し始めました。
転職活動は3ヶ月かかりました。フルリモート可の医療事務求人は、当時もいまも、決して多くありません。書類選考でいくつも落ち、面接まで進んでも「在宅でレセプトを扱う」ことへの懸念から見送りになる施設もありました。それでも、医療事務10年と元採用担当という背景を評価してくれる施設が、ひとつだけ見つかりました。
転職後の年収は400万円。前職から60万円下がりました。
ただ、通勤費が年間86万円ほど浮きました。残業はゼロになりました。朝6時起きが7時起きに変わり、睡眠時間は1日1時間半ほど伸びました。
そして、夕方の家族時間が、毎日2時間ずつ戻ってきました。
この記事を書いている今日の夕食、私は子ども3人と妻と、5人でテーブルを囲みました。長女が小さい話をして、次女が笑って、末っ子が味噌汁をこぼして、妻が笑いながら拭いて、私はその場にいました。
「パパ、なんでいつもいないの」と言わせたあの夜から、ちょうど2年が経ちました。
年収60万円は、確かに60万円です。家計には響きます。それは正直に書きます。
ただ、もし2年前の自分にひとつだけ言えるなら、「そのお金は、味噌汁をこぼす子どもと笑える夕食より、たぶん安い」と伝えると思います。
— Yu